御由緒
当神社の起源は極めて古く社記によれば和銅二年(七〇九)に社殿が創建されたとあり往古より「田村大社」「定水大明神」又は「一宮大明神」とも称され、人々より篤く崇敬されてきた。嘉祥二年(八四九)従五位下に叙せられ貞観三年(八六二)官社となり名神大社に列せられ、讃岐國の一宮に定められて後は度々神階を授けられ建仁元年(一二〇一)正一位の極位に叙せられた。
室町時代、貞和二年(一三四六)管領細川頼之が領主だった時には社域を拡築して「一切経」を奉納し、長禄四年(一四六〇)細川勝元は社頭に壁書を掲げさせて神事の厳粛に努めた。降って天正年間、仙石氏、生駒氏が此の地を領するのに及んで夫々社領を寄進し、江戸時代明暦元年(一六五五)松平頼重が国守に任ぜられた時には社殿を修造して更に社領を寄進し、延宝七年(一六七九)には神仏習合を廃し、江戸時代の初期に於いて早くも唯一神道の道を開き爾来松平家の祈願所として累代社領を寄進、或いは家宝を奉納する等、武門・幕府からの崇敬も篤かった。明治四年(一八七一)には、新しい神祇制度のもと国幣中社に列せられ、現在は神社本庁統括のもと別表神社となっている。
当神社奥殿の床下には深淵が在り、厚板でこれを覆い殿内は盛夏といえども凄冷の気が満ちていて古くから神秘を伝えている。又領内に水旱があれば領主奉行は必ず先ず当社に祈願したといい、定水大明神と称される所以である。
讃岐國一宮 田村神社略記より
御祭神
- 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
- 五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)[吉備津彦命(きびつひこのみこと)]
- 猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
- 天隠山命(あめのかぐやまのみこと)[高倉下命(たかくらじのみこと)]
- 天五田根命(あめのいたねのみこと)[天村雲命(あめのむらくものみこと)]
所在地
香川県高松市一宮町286
北参道大鳥居
表参道大鳥居
本殿
御朱印
授与所で頂きました。
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