氣多大社はどんな神社か
石川県羽咋市に鎮座する氣多大社は、能登国一宮として知られ、紀元前に大己貴命が出雲からやってきて創建されたと伝わっている古い神社です。8~9世紀の氣多大社は、越前国気比神宮、常陸国鹿島神宮、下総国香取神宮と共に「日本四社」と称せられ、対蝦夷の前線基地、または、後方支援基地として機能していました。中世からは能登守護の畠山氏、能登国を支配した上杉・織田・前田家等の武将、加賀藩主前田家らから、厚く崇敬されてきました。
お祀りしている御祭神は次の通りです。
- 大己貴命
氣多大社の見どころ

社号標と鳥居。

手水舎。

神門。国重要文化財。天正12年(1584)建立されたもの。

拝殿。国重要文化財。承応2年(1653)に建立されたもの。

本殿。国重要文化財。天明7年(1787)に建立されたもの。

摂社の若宮神社。国重要文化財。永禄12年(1569)に再建されたもの。御祭神は事代主神。

摂社の白山神社。国重要文化財。御祭神は菊理媛神。

末社の太玉神社。御祭神は太玉命。

末社の菅原神社。御祭神は菅原道真。

末社。御祭神は大黒天。
他にも末社があり、楊田神社には軻遇突智命を、奥津島神社には奥津島姫命をお祀りしています。

入らずの森。古代よりの禁足地。立入禁止だと誤解されている方が多いですが、禁足とは、一定の場所から外に出るのを禁止することです。祀っている神様を封じ込めている場所が入らずの森、だと考るのが妥当です。入らずの森には、須佐之男尊と寄稲田姫命をお祀りしている奥宮があります。

折口父子の歌碑。折口信夫は国文学・民俗学者。養子の春洋は信夫に師事していましたが、太平洋戦争に応召し硫黄島で戦死しました。
「氣田のむら 若葉くろずむ 時に来て 遠海原の 音を聴きをり」 信夫
折口信夫が氣田大社に初めて参拝した時の歌です。
「春畠に 菜の葉荒びし ほど過ぎて おもかげに師を さびしまむとす」 春洋
折口信夫が養子入籍の件で金沢歩兵聯隊の春洋を訪ね面会した時の歌です。
氣多大社へのアクセス
石川県羽咋市寺家町ク1-1
【公共交通機関】
- JR七尾線「羽咋駅」より、能登西武バス富来・高浜行きに乗車、「能登一の宮」下車
【車】
- のと里山海道「柳田IC」から5分
氣多大社の御朱印
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授与所で頂きました |
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