御由緒
当神社のご鎮座について具体的な年号の初見は「続日本紀」の文武天皇大宝二年(西暦七〇二)です。
神代のことはよくわかりませんが、当神社はこの地に鎮まります以前には、日前神宮・国懸神宮(通称日前宮)の社地にお祀りされていたようです。日前宮のご鎮座が垂仁天皇十六年(西暦紀元前十四)と伝えられていますので、そのころ今の秋月(日前宮鎮座地)より、この山東(現伊太祁曽)に遷座せられたようです。しかし、その地は現在の社殿のある場所ではなく、南東に五〇〇メートルほど離れた「亥の森」という所でした。今も田んぼの中にこんもりした森が残っており、いかにも神奈備の様相を呈しています。毎年旧暦十月初亥日に「亥の森祭」が行われています。
延喜式神名帳に所載の神社(式内社)で、明神大・月次・新嘗・相嘗に預かると記載されており、平安期には朝廷の崇敬が篤い大社であったことがわかります。
紀伊国(木の国)の一の宮として朝野の崇敬を受け、明治十八年国幣中社に列格し、大正七年に官幣中社に昇格しています。
昭和九年の台風により社殿が甚だしく損壊しましたが、畏くも御内帑金のご下賜により内務省直轄の工事で復興に着手、昭和十二年三月に竣工しました。
以後、屋根の葺替工事・常盤殿の改修・ときわ山造園・神池の改修等の境内整備を経て今日の神社があります。
伊太祁曽神社御鎮座の由来と沿革より
御祭神
- 五十猛命(いそたけるのみこと)[大屋毘古神(おおやびこのかみ)とも称する]
- 大屋津比売命(おおやつひめのみこと)[左脇殿 向かって右]
- 都麻津比売命(つまつひめのみこと)[右脇殿 向かって左]
所在地
和歌山県和歌山市伊太祁曽558
境内
社号標と鳥居 |
御神木の大杉 樹齢1000年とも云われています。昭和37年の落雷で炎上し枯れてしまいました。 |
手水舎と社務所 |
木の俣くぐり 御神木の一部で、古事記の神話に因んでこの木の穴をくぐると災難除けのご利益があります。 |
本殿と脇殿 |
御朱印
授与所で頂きました。 |
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