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【神社】三篠神社-広島県広島市

三篠神社_拝殿 神社

御由緒

永禄年間(一五五八~一五七〇)この近在の別府の地に大年神を大年大明神と称して創祀、また、天正年間(一五七三~一五九二)横川往還東側の楠の大木の下に小祠を建てて猿田彦神を楠木大明神と称して創祀、さらに承応三年(一六五四)現在地に宮社を造立し、大国主神を黒皇大明神と称して、前記の大年大明神と楠木大明神を合祀した。『芸藩通誌』では、主祭神大国主神が大黒天と習合し、それにより黒皇と称したと考証している。

明治二十二年、楠木村、新庄村、打越村が合併して、安佐郡三篠村(明治四十年三篠町)となる。大正三年、町の中心に当たる楠木鎮座黒皇神社に新庄鎮座熊野神社(現、新庄之宮神社)、打越鎮座八幡神社(竜王橋東詰付近に鎮座していた)と青木神社(小河内町一丁目に鎮座していた)を合併して社号を三篠神社と改称し、全町の総氏神と仰ぐ。

昭和十二年、境内地を拡張し壮大な社殿を造営したが、昭和二十年八月、原子爆弾のため樹齢三百年に及ぶ境内木と共に鳥有に帰す。幸に御神体は災禍を免れ、暫時、熊野神社跡の御旅所(現、新庄之宮神社)に還御し、同二十三年、焼跡に本殿一棟を造営して還御し、同二十九年、拝殿を造営した。同四十八年山手町鎮座の天神社を合祀する。境内地(一七〇七坪)は都市計画のため狭隘となった。

御鎮座四百参拾年記念事業(平成四年~十一年)に依り、社務所改築、参道他の拡張(六十八坪)、燈籠、玉垣の整備を行った。

三篠神社由緒より

御祭神

  • 大国主命(おおくにぬしのみこと)
  • 大年神(おおとしのかみ)
  • 猿田彦神(さるたひこのかみ)
  • 大那牟遅神(おおなむちのかみ)
  • 伊弉諾神(いざなぎのかみ)
  • 伊弉冉神(いざなみのかみ)
  • 品陀和気命(ほんだわけのみこと)
  • 帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)
  • 息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)
  • 天照大神(あまてらすおおかみ)
  • 市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
  • 天満天神(てんまてんじん)
  • 稚産霊命(わくむすびのみこと)
  • 保食命(うけもちのみこと)
  • 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
  • 奥津彦命(おきつひこのみこと)
  • 奥津姫命(おきつひめのみこと)
  • 言代主命(ことしろぬしのみこと)

所在地

広島県広島市西区三篠町1-11-5

神社写真

社号標。

三篠神社_社号標

拝殿。

三篠神社_拝殿

御朱印

社務所で頂きました。

三篠神社_御朱印

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