御由緒
神代の昔、天照大御神の命を受けた武甕槌大神は香取の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)と共に出雲国に向かわれ、国譲りを成就し、皇孫(すめみま)の国たるべき日本の建国と建設に挺身された。とりわけ東国における神功はきわめて大きく、関東開拓の礎は、遠く大神にさかのぼる。
神武天皇はその御東征なかばにおいて思わぬ窮地に陥られたが、大神の「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」の神威により救われた。この神恩に感謝された天皇は御自らの御即位の年、大神を鹿島の地に勅祭された。皇紀元年、即ち紀元前六六〇年の頃といわれる。
鹿島神宮参拝のしおりより
出雲の国譲り神話でオオクニヌシに国譲りを迫り、タケミナカタに勝利した武神をお祀りしています。香取神宮と並んでこの地に鎮座しており、大和朝廷の東北侵略の前線基地として機能していました。
御祭神
- 武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)
所在地
茨城県鹿嶋市宮中2306-1
境内
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社号標と大鳥居 茨城県特産御影石製、高さ十メートル。 |
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楼門 寛永十一年(一六三四)水戸藩初代藩主徳川頼房公の奉納。 阿蘇神社、筥崎宮と共に日本三大楼門に数えられる。 |
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拝殿 かつては伊勢神宮と同様に二十年毎に造営が行われていました。 現在の社殿は元和五年(一六一九)二代将軍徳川秀忠公により奉納されました。 |
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奥参道 本宮から奥宮に至る約二五〇メートルの参道。広大な鎮守の森で、巨木が多く見られます。 |
写真はありませんがほかにもいくつか紹介します。
宝物館
国宝の「直刀」が拝観できます。奈良時代制作(推定)の我が国最古最大の直刀で、韴霊剣の名が伝わっています。他には、「悪路王の首」と題された木製の首が展示されています。長きにわたる東北侵略の成果を誇示しているのか、慰撫のために祀っているのか。蝦夷の英雄阿弖流為は、坂上田村麻呂に敗れた後河内国で処刑されています。
要石
頭頂部だけがわずかに露出している霊石。大神が天降りし御座石とも、地震を起こす大鯰の頭を押さえている鎮石とも言われる。これは朝廷が侵略した蝦夷の反乱を地震に例え、蝦夷が反乱しないよう押さえつけることを象徴しているのだと考察します。東北侵略の前線基地だったことから、単なる地震鎮めとは考えにくいです。
御朱印
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授与所で頂きました。 |
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