御由緒
元和七年(一六二一年)四月二十一日、水戸徳川家初代藩主頼房公によって社殿をはじめ諸建造物が完成し、朝廷から勅使として三条大納言藤原公広公が、幕府からは山門探題天海大僧正が参向して盛大な遷宮の大祭をおこなった。
元和十年、徳川第二代将軍秀忠公の霊屋を宮の西方に建て、のちに第三代将軍家光公の霊屋を建て、以降徳川幕府歴代将軍の霊位を相殿として祀った。
宮の地名は霊松山といわれていたが、元禄十二年(一六九九年)第二代藩主光圀公によって、常葉山とあらためた。
御創建当時は「三所権現」と称し、中央に東照大権現の尊像が奉安され、左座に山王権現、右座に麻多羅神を合祀された。天保十四年(一八四三年)第九代藩主斉昭公は従来の仏祭を廃止、左右の配神二座を除き、神道による祭事にあらためた。
明治四年郷社に、同八年県社に列せあれた。昭和十一年七月二十九日、当宮を創建された徳川頼房公が配祀され、官民合同による盛大な祭典が執りおこなわれた。
昭和二十年八月二日大東亜戦争による空襲により重要文化財として指定されてきた荘厳な社殿及び建造物を焼失。
昭和三十七年境内の整備が完了、鉄筋コンクリート造、銅板葺朱塗りの社殿が復興、社務所、宝物庫、玉垣、神門等もすべて竣工し七月二日盛大な遷座祭が執りおこなわれた。
昭和四十年四月十八日、御祭神家康公三百五十年祭を斎行、昭和四十一年七月神社本庁より別表神社に加列された。
昭和四十三年八月、明治維新百年記念大祭を斎行。
昭和五十八年東照宮創建三百六十年祭を斎行、併せて、境内整備事業を行った。
東照宮参拝のしおりより
御祭神
主祭神
- 徳川家康公
配祀神
- 徳川頼房公
所在地
茨城県水戸市宮町2-5-13
境内
社号標 |
御朱印
授与所で頂きました。 |
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