御由緒
穂高神社がいつ創建されたか記録はないが、醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式の神名帳には、名神大社に列せられて古くから信濃に於ける大社として、朝廷の崇敬篤く殖産興業の神と崇められ、信濃の国の開発に大功を樹てたと伝えられている。
安曇族は海神系の宗族として北九州に栄え、大陸とも交渉をもち高い文化を持つ氏族であったようで、しだいに活動範囲を四国、中国、近畿、中部へと広げ、その一部は信濃国安曇野を安住の地と定め、稲作、農牧文化等を普及し、大きな力を持ち「倭名類聚抄」にある高家郷・八原郷・前科郷・村上郷の四郷からなる安曇郡を成立させている。
降って武将仁科氏、松本藩主累代は社領を寄進し、式年の造営、祭祀の厳修につとめられ、明治の御代となり、明治五年郷社、同十五年県社、昭和十五年国幣小社に昇格し、同二十年十二月十五日神道指令により、官国幣社の制度は廃止されて、現在は神社本庁の別表神社として崇敬されている。
穂高神社略記より
九州に拠点があった海洋民族の安曇族が、海の無い長野までわざわざやってきて定住しています。諏訪大社のタケミナカタではありませんが、戦に負けて追いやられて最終的に辿り着いた地、というイメージを持ってしまいます。穂高神社では海が無いのにお船神事があり不思議でしたが、安曇族が故郷を思ってのことなのかもしれません。
御祭神
- 中殿 穂高見命(ほたかみのみこと)
- 左殿 綿津見命(わたつみのみこと)
- 右殿 瓊々杵命(ににぎのみこと)
- 別宮 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
- 若宮 安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)
- 相殿 信濃中将(御伽草子のものぐさ太郎)
所在地
長野県安曇野市穂高6079
境内
社号標 |
鳥居 |
拝殿 |
御朱印
授与所で頂きました。 |
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