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【参拝】陸奥総社宮-宮城県多賀城市

陸奥総社宮_拝殿 参拝
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御由緒

本社の鎮座年月は明らかではありませんが、往古陸奥国の府内にして陸奥国府に属する総社で、かつて歴代の国司の奉斎したところとなります。国司は任国内の諸社に神拝することが定められていましたが、巡拝の手間を省くため、国内の神社を一箇所に集めて詣でることが広まりました。当社は陸奥国府多賀城に赴任した国司が、多賀城東門の近くに合祀勧請したのが始まりとされています。

鎌倉時代には、奥州留守職伊澤氏が国司に代り祭祀料として三干刈の地を寄進したと言われています。また、伊達政宗公も当社の再興に意を注ぎ、別当寺市川山神奏院(真言 塩憲法法蓮寺末寺)を置いて社務を行いました。歴代藩主の尊崇篤く、親拝代参などがあったとされ、世間一般からも篤い信仰を受けました。

明治四年十月に村社列格。明治四十一年には貴船神社外七社を合併し、大正十二年八月に供進社に指定されました。

陸奥国にある100の神社を合祀して創建されたと伝えられており、陸奥国一宮の鹽竈神社参拝の前に参拝すべき神社であるとされています。つまり、当時は一宮より格上だったことがうかがえます。

 

御祭神

  • 八塩道老翁神
  • 八塩道老女神
  • 陸奥国式内社百座

 

所在地

宮城県多賀城市市川字奏社1

 

境内

陸奥総社宮_社号標
社号標
陸奥総社宮_鳥居
鳥居
陸奥総社宮_拝殿
拝殿

 

 

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