御由緒
古墳時代の欽明天皇二年九月十五日鎮座。武蔵国造が大宮氷川神社より分祀、奉斎したという。
下って室町時代の長禄元(一四五七)年、川越城の築城にあたった太田資長(のちの道灌)は篤く当社を崇敬し、献詠和歌を残している。また、戦国時代の天文六(一五三七)年の合戦の様子を描いた「川越軍記」には、その当時も人々の参詣が盛んであったことが記されている。小田原北条氏滅亡後の天正十九(一五九一)年以来、関東を支配した徳川氏は、重臣を川越城主として江戸北方の守りにつかせたが、以後、幕末まで歴代城主は藩領の総鎮守として当社を崇敬し、文禄四(一五九五)年酒井忠利が社領を寄進したのをはじめとして、その後老中松平信綱らが社領を加増、さらに寛永五(一六二八)年酒井忠勝が本殿を修理した。その後老中柳沢吉保らが社殿の造営費の寄進や修理を行うなどし、嘉永二(一八四九)年松平斎典の代に現在の本殿が竣工している。
氷川神社参拝のしおりより
御祭神
- 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
- 奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
- 手摩乳命(てなづちのみこと)
- 脚摩乳命(あしなづちのみこと)
- 大己貴命(おおなむちのみこと)
所在地
埼玉県川越市宮下町2-11-3
境内
大鳥居
木製で高さは15mもあります。 |
拝殿 |
柿本人麻呂神社
摂社・末社の1つ。柿本人麻呂をお祀りしている珍しい神社です。 |
御朱印
授与所で頂きました。 |
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