御由緒
八剱神社は八千矛神(やちほこのかみ)を主祭神に日本武尊(やまとたけるのみこと)と誉田別尊(ほむたわけのみこと)を合わせて祀る小和田の氏神である。古来は船湛神主によって奉祀され、諏訪神社に準じた神事を行うとともに、諏訪湖の御神渡り拝観という特殊神事を守り伝えてきた。天正十八年(一五九〇)高島築城に際し城地にあった八剱神社と高島村は現在地に遷された。初代高島藩主諏訪頼水は当社を城の鎮護神社として以来歴代の藩主は産土神として篤い崇敬の念を寄せ、社領、絵馬、神宝等を寄進している。江戸時代の末までは諏訪神社の矢島権祝が神官として仕えた。
大祭は夏の虫除け祭り(現行七月第一日曜日)秋の例大祭-みかん祭(現行十二月第一日曜日)の他、七年目毎の寅申の年に御柱大祭が斎行される。御柱大祭には御柱の曳建てとともに御本殿の立替えと遷座祭が行われ氏子地区毎に御遷宮の飾り物を作って奉祝しその宏大豪華さを競った。
諏訪の七不思議の第一にあげられる「諏訪湖の御渡り」は諏訪明神が氷の上を渡られた跡といわれ、御渡りができれば氷上を人馬が渡っても危険でないとされてきた。当社には天和三年(一六八五)以降の御渡り拝観の記録「御渡り帳」が伝わり今日まで書き継がれている。拝殿は嘉永元年(一八四八)に上棟したもので、彫刻は立川専四郎富種の手になるものである。
八剱神社御由緒より
注目は御神渡り拝観という特殊神事を行っている所です。毎年年始から2月初旬まで、毎朝6時頃に諏訪湖の観察を行って、諏訪湖の結氷状態を観察しています。御神渡りの出現を認定して拝観式を行ったり、出現しない場合は明けの海を宣言したりと、重要な役割を担っています。
御渡り帳には上記年代から毎年欠かさず観察記録が残されており、現在も追記され続けています。歴史や気候変動等の観点から、神事以外にも注目をされています。
御祭神
- 八千矛神(やちほこのかみ)
- 日本武尊(やまとたけるのみこと)
- 誉田別尊(ほむたわけのみこと)
所在地
長野県諏訪市小和田13-18
徒歩は上諏訪駅から10分くらい。参拝者用の駐車場あります。
境内
社号標 |
拝殿 |
御朱印
現在は八剱神社の社務所で頂けます。上記は手長神社の社務所で頂いたものです。 |
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