御由緒
第十代崇神天皇の御代(紀元前九六~二九年)に、右元記で大國主命の十一代目の孫にあたる太多彦命の肩書に「但馬國朝来郡粟鹿神部直」とあり、神社に奉仕していたことが窺はれる。
景行天皇の御代、熊襲を征し給ひし時、勅して社殿を造営される。(約一九〇〇年前)
天武天皇の四年、大旱百姓飢ゆ、朝使清原冬満至自、本祠域一丁五段草萊の地を開き天神地祇を祭り祈年す、後五穀豊穣。(七七六年)
清和天皇の貞観十六年、勅使倭朝臣兼直至自、天下疫癘の治まることを祈願。(八七四年)
後宇多天皇の弘安四年、蒙古九州に寇す、因て我社に勅使卜部兼直卿を遣し祈願し給ふ時に神徳顯るゝを以て神階を進め、宸翰の額を納め給ひ、祭田を賜る。(一二八一年)
粟鹿神社由緒より
主祭神
- 天美佐利命(あめのみさりのみこと)
- 日子坐王命(ひこいますのおおきみのみこと)
- 日子穂穂手見尊(ひこほほでみのみこと)[山狹知毘古(やまさちひこ)]
配祀神
- 阿波奈岐尊(あわなぎのみこと)
- 伊弉奈岐尊(いざなぎのみこと)
- 天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)
- 籠神(このかみ)
- 鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
- 月讀尊(つきよみのみこと)
- 素盞鳴尊(すさのおのみこと)
- 豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)
所在地
兵庫県朝来郡山東町粟鹿鴨ヶ端2152
境内
社号標と鳥居 |
拝殿 |
御朱印
神社向かいの宮司宅で頂きました。 |
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