御由緒
「御英霊」私達日本人は日本のために尊い命を捧げられた人々の御霊をこう呼んできました。
幕末開国以来、日本は近代国家となるために幾度かの国事国難を経なければなりませんでした。祖国の繁栄を願いながら、平和の礎となられた御英霊をご祭神として祀るのが靖國神社・護國神社であり、中でも三重県出身者六万三百余柱を祀るのが三重縣護國神社です。
御創祀は明治二年、津藩主藤堂高猷公が津八幡宮に小祠を建て、戊辰の役で戦死した藩士の御霊を祀り、「表忠社」と称したのが始まりです。
以来、「招魂社」「官祭招魂社」と社名を変え、明治四十二年には現在地に御遷座し、昭和十四年に現在の社名「三重縣護國神社」となりました。しかし、昭和二十年の空襲で本殿・神饌所を残し建物を焼失、また戦後の連合国による占領下においては「三重神社」と改称しなければならない時期もありました。
昭和二十八年、日本の独立を期に再び「三重縣護國神社」とし、同三十二年には、本殿等を新たに御造営復興し、その後数度の改築・新築を行い現在に至っています。
また、大東亜戦争の終戦より節目の年毎には、天皇陛下より幣帛料を賜り、臨時大祭を斎行しております。
御祭神が日本の為に尊い命を捧げられた御英霊であるので、日本そして郷土三重の守り神、平和と繁栄の神様として崇敬されております。
また、御英霊が願われていたのが、これからの日本を担う幼い子供たちの成長であることから、子供の神様として三重県内各地から広く、その崇敬を集めています。
私たちは日々平和で豊かな日本に暮らしていけることを護国の神様に感謝しなければなりません。
三重縣護國神社栞より
御祭神
- 禁門の変及び戊辰の役・・・四〇柱
- 西南の役・・・・・・・・三四七柱
- 日清戦争・・・・・・・・二九〇柱
- 日露戦争・・・・・・・二五五三柱
- 朝鮮事件・・・・・・・・・一三柱
- 台湾事件・・・・・・・・・四二柱
- 日独戦役・・・・・・・・一四一柱
- 満州及上海事変・・・・・・五三柱
- 日華及大東亜戦争・五六八〇〇余柱
- 総柱数・・・・・・六〇三〇〇余柱
所在地
三重県津市広明町387
御朱印
授与所で頂きました。 |
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