御由緒
当社は昔地方民が「結城明神」と称えて宗広公の御墓側に小さな祠を建て、御神徳を受けました処から始り、俗に「結城医王大明神」と唱えて航海安全、病気平癒に霊験あらかたでありました。数百の星霜を経て寛永九年津藩主藤堂高次公が千歳山より此の地に八幡神社と称し産土神と同様崇敬されておりました。明治十三年三重県御巡幸の折、幣帛料の御下賜あり次で明治十五年一月二十四日特旨を以て別格官幣社に列せられ荘厳なる諸社殿が建立され、国家の宗祀として御神威いよいよ高まり昭和十二年宗広公六百年祭斎行に当っては全国民の熱誠なる奉賛によって境内の整備社殿の改築が行はれ面目を一新いたしましたが惜しい哉昭和二十年七月二十八日戦災により御本殿以下諸建物一切烏有に帰しました。戦後昭和三十一年復興第一期、三十三年第二期工事竣工、昭和六十二年秋宗広公六百五十年祭斎行続いて社殿以下附属建物等が整備されました。
結城神社参拝のしおりより
御祭神
主神
- 結城宗広朝臣
配祀
- 結城親光卿一族殉難将士
所在地
三重県津市藤方2341
境内
社号標と鳥居 |
拝殿 |
しだれ梅 2月中旬~3月中旬の間はしだれ梅祭が開催されています。境内に有料の梅園があります。 |
御朱印
授与所で頂きました。 |
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