御由緒
当神社明治元年十二月、戊辰の役において陣歿された高間省三命以下七十八柱の御霊を二葉の里に新しく造営された水草霊社に奉祀したのが起源です。
爾来、大東亜戦争に至るまでの幾多の事変戦争において、戦歿された九万二千余柱(勤労奉仕など公務中に原爆の犠牲となられた動員学徒等約一万余柱を含む)の御神霊をお祀りしています。
水草霊社は明治八年に官祭招魂社となり、同三十四年に官祭広島招魂社と改称されました。
昭和九年、御社殿の老朽化に伴い、西練兵場(旧市民球場の辺り)の西端に新社殿が造営され鎮座されました。同十四年、広島護國神社と改称されましたが、昭和二十年八月六日、至近距離上空で炸裂した原子爆弾の災禍により社殿悉く焼失しました。
その後同地に小祠を建立し祭祀を続けてきましたが、広島市の復興計画により移転を余儀なくされ、現在の広島城跡に社地を選定。復興奉賛会の募財により昭和三十一年十一月、新社殿が竣功し遷座され、県民待望の復興を遂げました。
昭和四十六年四月、昭和天皇・香淳皇后)の御親拝を契機に参拝者が急増し、社頭は賑わいをみせてきましたが、社殿等の傷みが進み手狭となってきたため、平成の御大典を記念して大規模な改修を行うこととなりました。
平成五年四月、御大典記念事業奉賛会の募財により、御大典記念事業として本殿・幣殿・拝殿の造営を始め鳥居参道の改修など全ての記念事業が無事竣功しました。
平成十年、御創建百三十年を記念して更なる社頭の整備事業が発議されましたが、広島城跡が国の特別史跡と言う特殊な事情により、文化庁の許可申請を経て平成十六年にまず悠久殿の新築、翌十七年には儀式殿の改築、さらに翌十八年には神楽殿の改築と続き、平成二十一年六月、最後の社務所・参集殿の改築工事が竣功し、御創建百三十年記念事業の全ての工事が竣功し現在に至っています。
広島護國神社由緒より
御祭神
- 大東亜戦争に至るまでの幾多の事変戦争において、戦没されたご英霊およそ九万二千余柱(勤労奉仕中に原爆の犠牲となられた動員学徒、女子挺身隊等約一万柱を含む)の神霊
所在地
広島県広島市中区基町21-2
境内
![]() |
社号標と鳥居 |
![]() |
拝殿 |
![]() |
昇鯉の像 難関突破、目標達成、関連出世とあります。広島といえばカープ=鯉。 |
御朱印
![]() |
社務所で頂きました。 |
コメント