長野縣護國神社はどんな神社か
長野県松本市に鎮座する長野縣護國神社は、長野県出身の明治戊辰の役以来大東亜戦争に殉ぜられた御英霊を祀るために、昭和十三年に建立されました。
約1万坪の広大な敷地を誇り、第二鳥居から80mもある石畳の参道は長野県でも随一です。
長野縣護國神社の見どころ
第一鳥居と社号標。
ニューギニア島と周辺諸島で散華された県内の三千四百七十四柱の御英霊を慰霊する「嗚呼戦友の碑」。長野県ニューギニア会が昭和四十九に建立、維持しています。
昭和14年の満蒙開拓青少年義勇軍(14~15才の少年300余名)が4年をかけて満州を開拓した所、大東亜戦争が勃発。応召され佐藤中隊で参戦。病に倒れ戦果に散り、永遠に満蒙の地に眠る同士殉職者を慰霊する「拓友之碑」。拓友会が昭和48年に建立、維持しています。
写真はありませんが、「拓友之碑」はもう1つあります。昭和19年の元満蒙開拓青少年義勇軍斉藤中隊217名は、昭和20年のソ連侵攻の前に全員捕虜となり、寒さと飢えと疲労のため120余名が異国の土となりました。こちらは興安拓友会が昭和51年に建立、維持しています。
満蒙開拓団、および、満蒙開拓青少年義勇軍として満州へ送り出された人数は、長野県が全国最多でした。それゆえ、悲劇に見舞われた方々の関係者も多くいらっしゃいます。長野縣護國神社以外にも、同様の慰霊碑は県内各地に建立されています。
社殿の手前の第二鳥居。
本殿。
春には多くの桜が咲いています。桜の時期ということもあったかもしれませんが、荘厳というより明るい開放的な雰囲気で、参拝する方もそれなりにいたのが印象的でした。護国神社は市街地にあっても人が少ない場合が多いので。
長野縣護國神社へのアクセス
長野県松本市美須々6-1
【公共交通機関】
- JR松本駅より信大横田循環線のバスで約13分「追分」下車、徒歩約1分
- JR松本駅よりタクシー約15分
【車】
- 長野自動車道「松本IC」より約15分
長野縣護國神社の御朱印
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授与所で頂きました。 | 2回目 |
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4月限定 | 疫病退散・アマビエ |
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4月限定・大判 |
他にも多くの種類の御朱印を頂くことが出来ます。
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