御由緒
延喜式神名帳(九二七)の佐渡国の部に度津神社他八社の名が載っており、古くから格式のある神社であったと思われる。その九社のうち、第一の宮として「一ノ宮」と呼ばれるようになった。初めの鎮座地は現在地よりやゝ川下にあったが(別当屋敷の地名の残っている処か)文明二年六月(一四七〇)、羽茂川の大洪水により社殿並びに別当坊、古文書等悉く流失したため、創立年代等詳らかでない。
その後飯岡村にある八幡宮に合せ祀ったが、やがて現在の地に新しく社殿が建立されると、八幡宮は相殿として祀られるようになり世俗一般に、一ノ宮八幡宮と呼ばれ、八幡宮の行事である流鏑馬も度津神社の例祭に行われるようになった。同時に新たに朝倉山弘仁寺の管理する所となり従来の別当坊を廃して神宮寺を開基して、その別当により、以後明治維新に至るまで神仏混淆の時代が続いた。
明治に至り神仏分離となり明治四年五月十四日、国幣小社に列せられた。その折、八幡宮を合祀しておく事が出来ず、同六年八月本社の傍に社殿を新築して遷座し摂社と定められたが、同十年三月摂社の称をも廃せられ末社と称し現在に至る。
佐渡一ノ宮度津神社参拝の栞より
御祭神
- 五十猛命(いそたけるのみこと)
配祀
- 大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
- 抓津姫命(つまつひめのみこと)
所在地
新潟県佐渡市羽茂飯岡550-4
神社写真
入口の鳥居と社号標。
神門。
拝殿。
御朱印
参集殿で頂きました。
関連記事:新潟県の神社の御朱印・御朱印帳、神社トップページ
コメント