御由緒
明治元年十月二十九日新潟市常磐岡に招魂社を祀り、戊辰(新潟戦争)の役の際国事に殉難した英霊の慰霊祭を行ったことに始まります。
明治八年新潟招魂社となり、明治十年官祭招魂社として新たに社殿が建設されました。以降大切に祭事は継承されました。昭和十四年内務省令により「招魂社」を「護國神社」と改称。規模些少により昭和十六年七月内務大臣指定社たる「新潟縣護國神社」を建設することが決定され、同十七年五月八日より県内各地から延二十五万余人の勤労奉仕で毎日百名以上、ときには二千人、一日平均七百五十人の県民が真夏の太陽の下、奉仕に汗を流した。八十余万円(現在に換算約三十億円)浄財により昭和二十年五月竣工しました。五月四日鎮座祭、五月五日「旧招魂社」より四百十六柱のご神霊をご遷座五月八日初の大祭を斎行、ご遺族・戦友・関係者多数が参拝され現在の芝生の部分も人々で埋め尽くされる程であった。そのわずか三か月後八月十五日終戦を迎へ十二月俗に言う「神道指令」が発令され「宗教法人」となる。同二十四年GHQの影響を受け「新潟神社」と改称したが二十八年には「新潟縣護國神社」に復称した。昭和三十九年昭和天皇香淳皇后のご親拝を始め新潟県にご来県の折、又記念の年など折ある事にご皇室よりご崇敬をいただいております。
平成七年のご鎮座五十周年には、県民のご浄財により大拝殿・祈祷休憩所の新築や境内整備が行われました。平成二十一年には天皇皇后両陛下ご成婚五十年を祝して幣殿の増改築を行い、年間数百組のカップルが「家族を守る神」としてご神前で結婚式を挙げ初宮・七五三等の人生儀礼や多数の神事、催事、行事が行われ大勢の皆様よりご参拝いただいております。境内松竹の中には新潟市の遊歩道が設けられ、各文学碑(白秋碑・安吾碑等)があり、新潟市民の憩の場として親しまれています。平成三十年には御創祀百五十年の佳節を迎え記念事業として神門回廊等を新設し参拝者の利使性安全性への向上を計り末長く親しまれる神社を目指しております。
新潟縣護國神社沿革より
御祭神
慶応四年一月鳥羽・伏見の戦より戊辰戦争と呼ばれ新潟の地にての戦(新潟戦争と呼ばれた)官軍戦死者四一六柱を始め、日清・日露・各事変と先の大東亜戦争に至るまでの新潟県ゆかりのご英霊七九七二九柱を奉祀
所在地
新潟県新潟市中央区西船見町5932-300
御朱印
授与所で頂きました。 |
御朱印帳
授与所で購入しました。 |
コメント