御由緒
古事記(伊勢本)には「故、其伊邪那岐大御神者、坐淡路之多賀也(かれ、そのいざなぎのおほみかみは、あはぢのたがにますなり)」、日本書記には「伊弉諾尊神功既畢霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隠者矣(いざなぎのみことかむことすでにおへたまひてあつしれたまふここをもちてかくりみやをあはぢのくににつくりしづかにながくかくれましき)」と、古典に當神宮の創祀を記してゐる。
境内地は、神代の昔に初めて夫婦の正道を契り定められ、大八洲の国々を修理固成され、更に萬物萬象と神々を生成された伊弉諾大神が、ご神功を竟へ給ふた後、御子神なる天照皇大御神(お伊勢さま)に譲位され、「淡路の多賀」の地に御自ら幽宮(終焉の御住居)を構へられたと伝へる故地で「日之少宮」ともいふ。神門前の神橋が架かる放生の神池は、周濠の遺構といはれてをり、現在のほ本殿は、明治初年の大造営にあたって、御陵周辺を整地し、その真上に移築建立されたものである。
ご皇室の始祖神として朝廷の尊崇厚く、坂上田村麿の末裔(田村家)が下向して祭祀を司るなど、高い格式をもって奉齋された。また、阿波藩主蜂須賀家歴代を始め武門武将の崇敬を受けた。
明治十八年より官幣大社伊弉諾神社、更に、赫々たるご由緒により、昭和二十九年に「神宮」號を宣下され伊弉諾神宮と改称した。
伊弉諾神宮略誌より
御祭神
- 伊弉諾大神(いざなぎのおほかみ)
配祀神
- 伊弉冉大神(いざなみのおほかみ)
所在地
兵庫県淡路市多賀740
境内
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社号標と鳥居 |
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神門 |
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拝殿 |
御朱印
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授与所で頂きました。 |
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