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【神社】尾長天満宮-広島県広島市

尾長天満宮_拝殿 神社

御由緒

道真公は、承和12年(845)にご誕生されました。幼少期より詩歌の才能に恵まれ、勉学に励み、文武に秀でた道真公は、天皇をはじめ多くの人々からの信頼を得て、学者・政治家としてご活躍なさいました。 右大臣まで上り詰めるという破格の昇進を遂げた道真公でしたが、志半ばにして政略讒言により無実の罪を着せられ、京都から大宰府に左遷されました。そして延喜3年(903)2月25日、道真公は太宰府においてご生涯を終えられました。

平安時代まだこの地は広く海でありましたが、現在の尾長山に明星峰(尾長山)天神社という小さな社がありました。延喜元年(901)、道真公が太宰府に左遷されたとき、当地に着船されました。明星峰天神社に参詣後、しばらく休息を取られました。久寿元年(1154)、安芸国守平清盛主従がこの明星峰に参詣の際、山中にて大豪雨と落雷の災難に遭い、進退絶命を感じましたが、不思議にも九死に一生を得ました。清盛は雷雨の中で知らず知らずのうちに、遥かに道真公の御加護を熱願していたことに気付き、深く神徳に感銘を受けました。よってこの一帯を信仰の山「菅大臣の峰」と名付け、峰に社殿を創建して、道真公の神霊をお祭りすることとしました。これが当宮のはじめです。

文和年中(1352~1355)、武田弾正少弼直信が明星峰天神社と清盛創建の神祠を合併し、「天神宮」と称し、武田氏(当時、佐東銀山城主)の守護神とした。寛永17年(1640)、京都の人で連歌の宗匠松尾甚助忠政願主となり、「天神宮」(古天神と称す)を里近くの明星峰の麓(尾長村)に分社し、社殿を造営した。これより「尾長天神宮」と称す。以後、国守光晟を始め、歴代国主の参詣が相次ぎ、また参詣者が多く賑わった。享保3年(1718)、「天満宮」と称す。明治5年(1872)、「尾長天満宮」と称す。昭和20年(1945)、社殿が原爆被災により大いに破壊され、一時「尾長天神社」と称することになったが、昭和27年(1952)、「尾長天満宮」の名称に戻した。

尾長天満宮御由緒より

御祭神

  • 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
  • 大穴牟遅神荒神(おおなむちのかみ)
  • 少名毘古那神(すくなひこなのかみ)

所在地

広島県広島市東区山根町33-16

神社写真

鳥居と狛犬。

尾長天満宮_鳥居と狛犬

随神門。

尾長天満宮_随神門

拝殿。

尾長天満宮_拝殿

御朱印

宮司宅で頂きました。

尾長天満宮_御朱印

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