御由緒
当社は、市寸島比賣命、多紀理毘賣命、多岐都比賣命を祀り、相殿に天照皇大神、須佐之男命、神倭伊波禮彦命を配祀する。
天正年間、此所に廣瀬辨財天という社あり、毛利輝元この地に菩提寺、洞春寺をおくに及んで、これを鎮守社とし、廣瀬市杵島大明神と称して信仰厚く、社領を寄せられたという。
享保八年、社号を廣瀬大明神と改称。
旧藩時代は、廣瀬、十日市より天満、観音、福島に至る広島西部一円の氏神として崇敬せられ、毎年九月十九日の大祭は盛大な賑わいを呈したという。
明治五年、社号を廣瀬神社、社格を村社と定められ、十月十九日を例祭日とし、広い境内には樹齢三百年以上という大樹、森をなし、諸々の社殿甍を連ね、宏大を誇る社であったが、昭和二十二年八月六日原子爆弾のため鳥有に帰した。
戦後、市街地区画整理の結果、境内は狭隘となったが、昭和二十二年復興、假殿を営み、同二十四年拝殿を、同五十年秋拝殿を造営し、翌五十一年秋にかけて境内の整備を実施した。
廣瀬神社由緒より
御祭神
主祭神
- 市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
- 多紀理毘賣命(たぎりひめのみこと)
- 多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)
配祀神
- 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
- 須佐之男命(すさのおのみこと)
- 神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと)
所在地
広島県広島市西区広瀬町1-19
境内
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社号標 幟で隠れてほとんど見えていませんが、向かって左側にあります。 |
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拝殿 |
御朱印
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社務所で頂きました。 |
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