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【神社】鶴岡八幡宮-神奈川県鎌倉市

楼門_鶴岡八幡宮 神社

由来

康平6年(1063年)に、源頼義が京都の石清水八幡宮を分祀して、由比ヶ浜近辺に八幡宮をお祀りしたのが始まりです。その後、治承4年(1180年)に源頼朝が鎌倉入りした際に、由比ヶ浜の八幡宮を現在の地に遷し、建久2年(1191年)に鎌倉幕府にふさわしくなるよう上下両宮を現在の姿に整えました。

御祭神

  • 応神天皇(おうじんてんのう)
  • 比売神(ひめがみ)
  • 神功皇后(じんぐうこうごう)

所在地

神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31

楼門

楼門_鶴岡八幡宮

御朱印

授与所で頂けます。

鶴岡八幡宮・御朱印

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源平池

三の鳥居をくぐると源平池があります。向かって右側が源氏池、左側が平家池です。源氏池には島が3つ、平家池には島が4つあります。これは、3は「産」であり源氏が栄える、4は「死」であり平家が滅びることをかけたものだといわれています。その源氏が征夷大将軍となった鎌倉幕府が3代で滅んでしまったのは、何という皮肉かと。

由比若宮遙拝所

遙拝とは、遠く離れた場所から神仏を拝むことです。宇佐神宮は遠いので遙拝所があるのはおかしくありません。しかし、由比ヶ浜なんてすぐ目と鼻の先にあるのに、由比若宮(こちらへ遷す前の由比ヶ浜の八幡宮)遙拝所があるのはおかしくないでしょうか。ちょっと足を延ばせばよいのに、何故遙拝所を作らなければならなかったのか。当時の参道付近は湿地帯だったようで、若宮大路の段葛が盛土をされて一段高くなっているのは、ぬかるんでまともに歩ける道がなかったためだということです。そうすると、由比若宮遙拝所を作ったのは、当時は直接参拝することが困難なほどの泥湿地だったと考えられます。

白旗神社

源頼朝公、源実朝公が祀られています。白旗神社の位置に注目すると、参道からそれていて曲がらないといけない、柳原神池を渡らないといけないことから、2公は怨霊として祀られています。源実朝は公暁に暗殺されたので、怨霊となるのは分かります。源頼朝の死因は落馬だの病だの諸説ありますが、本当に落馬や病だとしたら怨霊として祀られるでしょうか。頼家や実朝の最期から、頼朝も暗殺されたというのは至極最もだと思います。後ろ盾が北条氏であったこと、後の室町幕府の征夷大将軍が北条氏であるこちから、実行犯が誰であれ黒幕は北条氏以外には考えられません。

神仏分離令の影響

明治までは鶴岡八幡宮寺といって、神社よりも寺が中心でした。鶴岡八幡宮寺で祀られていたのは八幡大菩薩で、神と仏が一体になって信仰されていました。神仏分離令で寺の要素がすべて排除され、現在の応神天皇らを祀る鶴岡八幡宮となりました。放生会は本来殺生を戒める仏教の儀式ですが、これは鶴岡八幡宮が寺院でもあった頃の名残です。

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